幼馴染の面影  過去の追憶と今の生き方

幼馴染の面影  過去の追憶と今の生き方

 

誰にでも幼い頃があって、その頃を共に過ごした幼馴染と言われて想い浮かぶ面影ってあると思います。

ふと疲れきった帰り路の何気ない景色が、幼い頃に幼馴染と見ていた風景と重なって、嗚呼あいつ元気でやってるかななんて思ったり…。

 

今でも幼馴染と頻繁に会っていて仲良くしているなんて人もいると思いますが、連絡先もわからず何をしているかも全然わからないなんて人も多いのでは。

あの頃は毎日のように一緒にいたのに、不思議なものですよね。

 

 

いつしか別々の道を歩み始めて、新社会人くらいの歳の頃は、たまに連絡とってお互いの近況や、仕事の愚痴なんかを言いあったり..。

 

やがてお互いに結婚生活や仕事で忙しく、なかなか会えなくなり、連絡先もわからないぐらい疎遠になってしまいます。

人間って歳を重ねるごとに得るものと失っていくものがあって、失っていくものは夢であったり、童心であったり。

その中にあの頃親友と呼べた、幼馴染への想いも失っていくものの一つに数えられると、なんだか少し切なくなったりもします。

 

 

現代日本社会は、高校や大学を卒業し、企業に就職し、仕事に忙しい日々を過ごし、結婚・子育てを経て老齢に至るという”型”にハマりすぎているんじゃないかと。

みんながみんなその型に縛られているから、幼い頃や学生の頃の親友と呼べる存在すら疎遠になっていってしまいます。

人間という存在は、生きる為に必要なお金を得るための労働に、あまりにも時間を取られすぎなのではと感じます。

 

 

もっと自分らしく生きる時間を尊重するべきなんじゃないかと。

社会人たるもの上司からの指示や客先納期は守って当たり前で、それを守るために多少の身体的・時間的な企業への奉仕は当たり前である、なんていう経営者にとって実に都合のいい日本の歪んだ社会常識は、

ある意味社会的悪魔であり、潜在意識に不自然に強要されているその社会的悪魔に立ち向かい、経営者に都合のいい社会常識を打破する時が今こそ来ているのでは思います。

 

様々な働き方の形が生まれてきている現代で、企業側が上位の労働形態は崩壊し、働き手が労働というサービスを企業に提供するという考え方が普及し、労働者がより自分らしい時間を確保できるようになればいいですね。

 

 

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